創立100周年記念 「知の大冒険—東洋文庫名品の煌めき—」展のチラシ

創立100周年記念「知の大冒険—東洋文庫名品の煌めき—」

2024年8月31日(土)〜
2024年12月26日(木)

東洋文庫は100年前に設立された際、書物の収集や研究のみならず、普及の使命を掲げていました。この使命を追求し、2011年のミュージアム開館以来、東洋学にまつわる多様なテーマで38回にわたる企画展を開催してきました。
100周年を記念した本展は、時空を超えたアジア世界の面白さと豊かさを、あらためて知っていただく「知の大冒険」です。
蔵書を通じてアジアの多様な人々、言語、生活、歴史、宗教、自然との出会いを、旅をするように体験してください。ご覧いただく資料の多くは、災害や戦争などの危機的状況を乗り越えて継承されてきたものです。こうした経緯を知ることで、おなじみの資料も、きっと見え方が変わることでしょう。
さあ、新たな「知」との出会いが待つ、アジア世界への冒険を、すみずみまでご堪能下さい。

主催:公益財団法人東洋文庫、読売新聞社

展示資料の原題・請求番号はこちら(閲覧停止資料)よりご確認いただけます。
これらの資料は展示終了後、閲覧室でご覧いただけます(一部ご覧いただけない場合もございます)。
詳しい閲覧方法はこちら(資料の閲覧・複写などについて)よりご覧ください。

展示構成とみどころ

1、東洋文庫について-知識を継承する

 文化財は経年劣化や自然災害、戦乱などで容易に失われます。東洋文庫が所蔵する書籍や地図、絵画などは、数々の危機を乗り越えてきたものです。「モリソン文庫」は19世紀末から20世紀前半にかけて収集され、義和団事件や東京湾岸の高潮などの困難を乗り越えました。第二次世界大戦中には、研究員の尽力により蔵書が宮城県に疎開され、地元の人々が見守りました。こうして守られてきた書物は、私たちに長い時の流れと広大な世界をみせてくれます。知の大冒険へ漕ぎ出す前に、文化財を守るために奮闘してきた人々の記録を見ていくことで、東洋文庫の草創期を紹介いたします。

製本道具の画像

製本道具 20世紀初頃

<全ての道具に家紋入り>
岩崎久彌が購入した当時のモリソン文庫には、未製本の状態の洋書が多く含まれていました。そこで久彌は、製本道具を揃えてコレクションの整備を指示しました。木槌や「コツ」という木製定規などの、現在も東洋文庫に残る道具には、岩崎家の家紋「重ね三階菱」が刻まれています。

2、東洋の文字、言葉…『甲骨卜辞片』、『コーラン』など

ここから冒険が始まります。東洋世界へ漕ぎ出しましょう。ただし、「東洋」は本来海域を指す言葉ですが、現在は陸域の人間社会や文化を指します。アジアと言った方が分かりやすいでしょうか。これからアジアの人々の記憶や物語を探しに行きます。アジアも東方を意味し、西洋から見た東の世界を指します。その位置は時代や視点によって異なります。まずは西洋人が作った地図をガイドにし、アジアの広大な領域を見渡しましょう。しかし地図には描かれていないもの、例えば土地の正確な形や多様で魅力的な文化の姿も多くあります。この章では、東洋の象徴として「文字」を取り上げます。紀元前から今日まで東洋で生み出されてきた数々の文字に触れていきましょう。
【主な展示資料】『説文解字』『クルアーン(コーラン)』『訓民正音』など

甲骨卜辞片の画像

『甲骨卜辞片』
 紀元前14~紀元前11世紀頃 中国河南省安陽市出土 

<漢字のご先祖様、み~つけた!>
考古学上で確認できる中国最古の王朝「殷」(紀元前17~紀元前11世紀)の時代に、主に占いに用いられた動物の骨や亀の腹甲を「甲骨」といいます。加熱して生じたヒビの入り方で占い、占いの内容とその結果を刻みました。ここで使用された「甲骨文字」は、漢字の最も古い形態であるとされています。東洋文庫が所蔵する甲骨は、日本の甲骨文字研究の先駆者である林泰輔が、1918年に林が河南省での実地調査で収集したものです。

ヒエログリフ辞典の画像

『ヒエログリフ辞典』
ウォーリス・バッジ 1920年 ロンドン刊

<古代エジプトの謎を紐解く鍵>
イギリスの考古学者バッジの著作です。ヒエログリフとは、古代エジプトで使われていた神聖文字です。フランスの学者シャンポリオンが、1822年にロゼッタストーン(エジプトで発見された石碑)に刻まれたヒエログリフの解読に成功し、読むことが可能となりました。本書の著者は、古代エジプト、アッシリアの研究者として知られています。大英博物館の責任者を長くつとめ、同館の古代エジプトコレクションの形成に深く関わりました。

3、東洋の旅

「文字」の次は、テキストと図版を通じて東洋の多彩な魅力を楽しみましょう。日本を出帆、進路は西へ。中国、朝鮮、東南アジア、インド、西アジアの文化や風土を、百科事典、歴史書、地理書、探検記が案内してくれます。東洋世界は、貿易風と潮流によって多様な文物が行き交う“知の海”でした。書物が主要な情報源だった時代を想像してみてください。古の航海者が星を目印にしたように、他地域の情報は東洋の人々が自分たちの位置を知る指標でした。書き記された書物や口承も重要な知の伝達手段でした。スマートフォンで世界の情報に常時アクセスできる現代と比べるのも、この旅の楽しみ方です。孔子、万里の長城、ガンダーラ、オスマン帝国など、気になる言葉に出会ったら立ち寄ってみましょう。本を立ち読みする感覚で、寄港地観光を楽しむ章が始まります。
【主な展示資料】『史記』『山海経広注』『蘭亭序』『高麗史』『アジアの鳥類』『ガンダーラの仏教寺院』など

『永楽大典』
解縉ほか編 1408年(明代) 1562年書写

<中国史上最大級の百科事典>
明の第三代皇帝、永楽帝(在位1402-24)の命でまとめられた、本文22,877巻・目録60巻からなる中国史上最大級の百科事典です。文字それぞれの発音、意味、書体、その字を使う単語、関連する文献などが掲載されています。本書を作るにあたり、中国伝来の膨大な数の文献の収集・分類作業が永楽帝の即位後すぐに始まりました。正本は明末期の戦乱で焼失しましたが、副本は一部残存し、東洋文庫には計63巻34冊が所蔵されています。

朝鮮聘事の画像

『朝鮮聘事』
1711(正徳元)年刊 1802(享和2)年書写

<海を越えてやってきた隣人>
1711(正徳元)年に来朝した朝鮮通信使に関する記録です。室町時代から日本と朝鮮は使節団を派遣しあっていましたが、15世紀後半からしばらく途絶え、豊臣秀吉による文禄・慶長の役によって国交断絶となったために中断されました。しかし、江戸時代に日本から朝鮮に通信使を打診したことで再開されました。本書には、通信使の名簿や船の大きさが記されているほか、通信使持参の道具や楽隊の楽器は絵入りで記されています。

ジャワ誌の画像

『ジャワ誌』
トーマス・ラッフルズ 1817年 ロンドン刊 

<敏腕商社マンの目に映ったジャワ島>
著者のラッフルズ(1781-1826)は貿易都市シンガポールの建設者として知られています。イギリスがシンガポールを統治する以前に、ラッフルズがイギリス東インド会社の職員として派遣されたのは、インドネシアのジャワ島でした。31歳のときに同地を統治するための準知事に任命されました。帰国直後の1817年に刊行された本書は、ジャワの風土、歴史、文化を知るための貴重な文献として高い評価を受け、ラッフルズはナイトの称号を授与されました。

高地アジア科学調査の画像

『高地アジア科学調査』
ヘルマン、ロベルト編 1861-66年 ライプチヒ刊

<精緻なスケッチが伝える秘境の風景>
ヘルマン、アドルフ、ロベルトのシュラーギントワイト3兄弟が、イギリス東インド会社から要請を受け、インドのデカン高原、ヒマラヤの山岳地帯、崑崙山脈などを調査した記録です。風景のスケッチ、地図の他、気象報告なども含まれています。スケッチにも描かれている「Sasser峠」をはじめとするこのあたりの峠は標高5000mを超すところが多く、表題通りの高地を調査しているのがわかります。

4、西洋と東洋 交わる世界 

見知らぬ世界への旅はいつの時代も新鮮な驚きをもたらします。15世紀半ばの大航海時代の幕開けで東西の航路が開かれ、両者の交わりが増えました。本章では、東洋への誘いに大きく寄与したマルコ・ポーロの『東方見聞録』を紹介します。この書は多くの言語に翻訳・出版され、多くの人々に愛読されました。東洋へ向かったのは商人だけでなく、16世紀後半以降は宣教師、使節団、その随行員、軍人、地理・天文学の研究者などが様々な目的で東洋を訪れ、多くの書を残しました。これらの書物には、東洋各地の姿が詳細に記されています。マリー・アントワネットやエカチェリーナ2世もこれらを読み、ナポレオンは漢字辞典の編纂を指示しました。本章では、西洋人が東洋を訪れた際の見聞や体験を記した書物を通じて、東西世界の交わりを探っていきます。
【主な展示資料】『大地図帳』『ロビンソン・クルーソー』『イエズス会士書簡集』『世界周航画集』『ナポレオン辞典』など

東方見聞録の挿絵画像

『東方見聞録』
マルコ・ポーロ口述、ルスティケッロ著 
1671年 アムステルダム刊 

<これは東西の出会いの物語>
『東方見聞録』はヴェネツィアの商人マルコ・ポーロが、父や叔父と東方を旅した際に見聞きしたこと、体験したことがまとめられた旅行記です。東洋文庫には年代がわかるものだけでも、出版年・出版地・言語が異なる『東方見聞録』が約80種類あり、刊本のコレクションとしては世界最大です。本書のなかで、日本は黄金や宝石を豊富に産出する島「ジパング」として紹介されています。その内容は多くの人々の憧れを刺激し、大航海時代の幕開けに大きな影響を与えました。

マカートニーと乾隆帝の風刺画

『マカートニーを謁見する乾隆帝』
ジェームズ・ギルレイ 1792年 ロンドン刊

<話は聞いてあげよう、でも聞くだけだよ>
18世紀後半、イギリスは清に対して貿易の条件を交渉するべく、使節を派遣しました。使節団の全権大使に選ばれたのは、上院議員のジョージ・マカートニー伯爵でした。1793年、熱河の離宮で使節団を迎えた乾隆帝は、制限貿易の撤廃をはじめとするイギリス側の要望は、すべて拒否したといいます。図版の銅版画はイギリスの風刺画家が想像で描いたとされ、威厳よりも横柄さを感じさせる乾隆帝と紳士的なマカートニーの描写が対照的です。

5、世界の中の日本

東洋と世界を巡る旅はいよいよ日本に帰ってきます。日本の歴史もまた、見知らぬ人、そしてそれまでの考えや暮らしを一変させるものとの出会いの物語だと言えるでしょう。『魏志倭人伝』は日本に関する最も古い資料の一つです。その後、日本は仏教、儒教、漢字の影響を受けて文化を育んできました。16世紀以降、西洋の宣教師たちがキリスト教を伝え、西洋の学問が新たな医学書や地図として日本にもたらされ、日本人に驚きを与えました。一方、ケンペルやシーボルトが伝えた日本の姿は西洋人の注目を集めました。19世紀にはアヘン戦争で中国が敗北し、日本は新しい世界に直面しました。イギリス艦隊による中国船隊の破壊は、日本にとって中国中心の世界の崩壊を意味しました。日本の周囲の世界の記録を紐解き、日本がどのように誕生し変化していったか、その道のりを辿りましょう。
【主な展示資料】国宝『毛詩』重要文化財『論語集解』『解体新書』『改選江戸大絵図』『アヘン戦争図』の他、各種古地図のデジタル展示など

文選集注の画像

国宝『文選集注』
10-12世紀(平安時代)書写

<科挙受験生の必読書>
『文選』とは、梁の皇太子・蕭統(昭明太子、501-531)が、梁より前の約1000年間に生まれた文学作品の中から、約800篇の優れた作品を選んで編纂した詩文集です。東洋文庫が所蔵する本巻は、『文選』の代表的な注釈を集めて再編集したもので『文選集注』とよばれます。平安時代の日本で書写されたもので、中国では失われてしまった注が記されている点、注を選んだ日本人の解釈も加えられている点が特に貴重とされます。

浮世絵『錦織歌麿形新模様うちかけ』の画像

『錦織歌麿形新模様うちかけ』
喜多川歌麿 1797(寛政9)年頃 

うちかけを着た吉原の花魁(最高位の遊女)を描いています。墨の線で輪郭をとることを控えめにして、色使いと襟元などに施した空摺り(紙に凹凸をつける方法)の工夫で立体感を表現しています。本図は7点ほど現存が確認されています。それらと比較すると、東洋文庫所蔵品は色使いが異なることから、初版ではなく第2版であろうと考えられます。

諸国瀧廻りシリーズ『木曽路ノ奥阿彌陀ケ滝』の画像

『諸国瀧廻り』
葛飾北斎 1832-33(天保3-4)年頃

<変幻自在の水の表現>
山岳信仰や修験者の聖地、阿弥陀や観音が祀られる滝、庶民になじみの滝などを描いた全8図のシリーズです。個性豊かに滝を描写する表現力と造形性、そして濃淡・明暗の変化に富んだ巧みな色使い。各図に北斎の感性が凝縮された名所絵の代表作です。ひときわ目をひく鮮やかな藍色は「プルシアン・ブルー」という西洋由来の顔料を使用しています。同色は当時、絵具の発色と伸びの良さから流行しました。本作では、水の立体感を表現するために効果的に用いられています。

ミュージアム開館カレンダー

ミュージアム

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毎週火曜日休館
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