企画展「世界図ってなんだ!?-地図が語る世界-」チラシ表画像

世界図ってなんだ!? -地図が語る世界-

2026年10月7日(水)〜
2027年1月17日(日)

世界がかつてないほど身近になる一方で、国や文化の違いがあらためて意識される時代を私たちは生きています。そんないまだからこそ、昔の人々はどんな世界を想い描き、未知の世界をどう理解しようとしてきたのか、その出発点に立ち返ってみませんか。主役は、17世紀初頭に西洋の知識と中国の世界観が融合して生まれた世界図、『坤輿万国全図』です。大規模な修復をほどこし、東洋文庫ミュージアム初公開となるこの地図を軸に、西洋・中国・日本における世界地図の変遷をたどり、地域ごとに異なる「世界との向き合い方」を浮き彫りにします。過去の地図に描かれた世界が、今の私たちを照らし返すきっかけとなれば幸いです。

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展示構成とみどころ

『坤輿万国全図』以前の世界地図

西洋におけるプトレマイオス(1-2世紀、古代ローマ)や大航海時代(15世紀~)の地図、東洋(仏教圏)の精神的世界観など。想像と伝聞で描いた初期の世界像をたどります。

『一般地理学』セバスチャン・ミュンスター編1545年 バーゼル(スイス)刊

『一般地理学』セバスチャン・ミュンスター編1545年 バーゼル(スイス)刊

本図は、150年頃にプトレマイオスによって書かれた最古の数理地理学書『地理学』を基に、15世紀に再構成されたものです。世界地図といってもユーラシア大陸の一部しか描かれておらず、当時の「世界」認識がわかります。本書以降、プトレマイオスの地理学は「古代の権威ある正確な地理学書」という位置付けから、「歴史的に」重要な文献へと変化し、世界の地理認識は古代の文献に求めるのではなく、「最新」の「観測」とそれに基づく地図製作こそが重要である、という流れに変わっていきます。

『坤輿万国全図』の誕生

イエズス会士マテオ・リッチがもたらした西洋地理学の知識と、中華世界観の融合。本展の主役である『坤輿万国全図』を、詳細解説や他機関所蔵のものとの比較でみていきます。

『坤輿万国全図』マテオ・リッチ 1602年成立、1604以降(清代)写本

『坤輿万国全図』 
マテオ・リッチ 1602年成立、17‐18世紀(清代)写本 

太平洋を中心に置いた初めての世界地図です。
イエズス会宣教師マテオ・リッチは、1582年のマカオ到着から1610年の北京における客死に至るまでの約30年間に、数度にわたって世界図を作製しています。そのうち、1602年に明代の北京で刊行されたのが『坤輿万国全図』です。 
清代初期に中国国内で書き写された『坤輿万国全図』は国内唯一の所蔵。

日本における『坤輿万国全図』の受容と展開

中国で刊行されてすぐ日本に伝来した『坤輿万国全図』は日本でどのように受容されたのか。
江戸時代の日本ではベストセラーとなる地図や地誌の刊行や、より正確な地図を求めて描かれた多種多様な世界図が出版されていきました。その背景とは?

『地球万国山海輿地全図説』長久保赤水 1785(天明5)年頃か

『地球万国山海輿地全図説』
長久保赤水 1785(天明5)年頃か

長久保赤水(1717〜1801)は、日本で初めて経緯線を入れた『改正日本輿地路程全図』を刊行した地理学者です。本図は『坤輿万国全図』を参照して描かれた「マテオ・リッチ系世界図」の一つであり、その普及に最も貢献して江戸末期まで庶民に親しまれ、およそ50種類もの改訂版や模倣版が作られました。解説には、リッチ図をつなぎ合わせて縮小し、木版出版して広めた旨が記されています。

『新訂坤輿略全図』新発田耘(柴田収蔵) 1852(嘉永5)年

『新訂坤輿略全図』
新発田耘(柴田収蔵) 1852(嘉永5)年 

『坤輿万国全図』系統の「卵形世界図」は江戸時代の主流でしたが、19世紀には記述の古さが目立つようになり、知識人層の間では「両半球図」や「平方図(メルカトル図法)」が主流となっていました。こうした中で作者は、精密な卵形図が存在しない現状を打開すべく本図を制作したと序文に記しています。さらに序文には、オーストラリアやニューギニアなどの無数の島々を総称して「オセアニア」と呼ぶようになったことなど、世界情勢の変化が細かく記述されており、当時最新の海外情報を把握していたことがうかがえます。

『喎蘭新訳地球全図』橋本宗吉 1796(寛政8)年初摺版

『喎蘭新訳地球全図』
橋本宗吉 1796(寛政8)年初摺版

日本における図のような「両半球図」は、18世紀末の寛政期には江戸の町中でも広く市販されていたようです。本図には「島」としてのカリフォルニアや、この当時既に消されることの多くなっていた南方大陸「メガラニカ」が描かれています。本図に先行する司馬江漢の図において半島とされるカリフォルニアが島になっていることから、江漢より古いオランダ製地図を参照したと考えられます。校閲に長久保赤水を迎えた点には、著名人の知名度を活かした当時の販売戦略が窺えます。

中国・朝鮮の伝統回帰と西洋世界地図の深化・分化

清代中国での世界地図知識・測量技術の断絶や、清、朝鮮半島における伝統的世界像の再構築と、実証的な西洋最新地図技術の発達の対比をご紹介します。

『天下図』18-19世紀(李氏朝鮮)頃

『天下図』18-19世紀頃(李氏朝鮮時代)

本図は中国、朝鮮、日本の図などが描かれた地図帳の内の一図で、世界地図です。円形を描く構図には西洋地図の影響が見られる一方、中央の大陸には中国をはじめとした実在の地理に加え、伝説上の地名も多くみられます。17世紀には西洋の地図・地理情報が流入する中で、時代に逆行するように朝鮮の伝統的思想を反映して独自に生み出された本図は、17世紀後半から19世紀前半の朝鮮で、刊本や写本によって盛んに製作されました。

『ヒンドゥスターン(ムガル帝国)地図集報告書』ジェイムズ・レンネル 1788年 ロンドン刊

『ヒンドゥスターン(ムガル帝国)地図集報告書』ジェイムズ・レンネル 1788年 ロンドン刊

著者はイギリス東インド会社に仕えた海軍将校であり、また「海洋学の父」と呼ばれる地理学者です。ムガル帝国ことインド(別名ヒンドゥスターン)の植民地支配を本格化させたイギリスにとって、正確な地図は軍事的にも統治的にも重要なものでした。著者は、初代ベンガル測量局長時代に初の実地測量に基づく正確なインド地図を作成し、帰国後それらの地図や報告書、『アクバル会典』などのインド側の文献資料を集大成して、インド全体の地図と地理情報をまとめた本書を著しました。

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