ニッポン再発見-異邦人のまなざしーチラシ画像

ニッポン再発見 -異邦人のまなざし-

2026年1月21日(水)〜
2026年5月17日(日)

東洋文庫ミュージアムは約1年の休館を終えて、1月21日より開館いたします。
リニューアル・オープンをかざる本展では、マルコ・ポーロから小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)まで、日本における異文化との接触・交流の足跡、そして外から見た日本イメージの変遷をたどります。
日本を訪れた外国人は、日本にどのような印象をもったのか、海外の文献のなかで日本はどのように記述されてきたのか、歴史的な出来事はどのように認識されているのか。
視点を変えると新鮮な気づきが沢山あるはずです。少し装いを新たにした東洋文庫で再発見しましょう。

展示資料の原題・請求番号はこちら(閲覧停止資料)よりご確認いただけます。
これらの資料は展示終了後、閲覧室でご覧いただけます(一部ご覧いただけない場合もございます)。
詳しい閲覧方法はこちら(資料の閲覧・複写などについて)よりご覧ください。

展示構成とみどころ

1、書物のなかの「日本」を探す 

3世紀頃に成立した「魏志倭人伝」をはじめ、古代・中世の海外において日本を記述した文献は、中国を中心とした近隣の東アジア文化圏のものが多いです。ヨーロッパでは、13世紀にアジアへの旅をして中国に滞在したマルコ・ポーロが、旅行記『東方見聞録』にて日本を「ジパング」と紹介したことが知られています。しかし、マルコ・ポーロは日本を訪れておらず、これらの記述は聞き書きによるものとされています。この章では、日本と諸外国との接触が極めて限られていた時代に、彼らがどのように日本を認識し描写したのか、書物のなかのイメージを探ります。

『魏志倭人伝(三国志 魏志)』
3世紀成立、1600年刊

「魏志倭人伝」は、『三国志』のうち、「魏書」に含まれる「烏丸鮮卑東夷伝」という、魏にとっての異民族に関する情報をまとめた部分の、「倭」に関する記述のことです。邪馬台国は「女王の都とするところ」として登場します。邪馬台国の女王だった卑弥呼は、西暦239年に魏へ使者を送り、貢物などを献上しました。

『東方見聞録』 
1485年刊 マルコ・ポーロ口述、ルスティケッロ著

ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロが、父や叔父と東方を旅した際に見聞きしたこと、体験したことがまとめられた旅行記です。東洋文庫には年代がわかるものだけでも、出版年・出版地・言語が異なる『東方見聞録』が約80種類あり、刊本のコレクションとしては世界最大です。本書のなかで、日本は黄金や宝石を豊富に産出する島「ジパング」として紹介されています。その内容は多くの人々の憧れを刺激し、大航海時代の幕開けに大きな影響を与えました。

2、いざ、日本へ‐ヨーロッパ世界と日本との対面

15世紀後半のヨーロッパでは、航海術と造船技術の発展を背景に、各国が航路を開拓して海外進出をはかる大航海時代を迎えました。さらに、16世紀初期にはじまった宗教改革により、カトリック教会再興を目的とした海外宣教が展開されます。以降、世界進出、貿易、キリスト教の宣教は一体となって展開されました。商人、あるいはザビエルをはじめとした宣教師など、16世紀以降にヨーロッパから海を渡り日本を訪れた異邦人は、何に驚き、印象深くとらえたのでしょうか。また、彼らがもたらしたものは日本にどのような影響を与えたのでしょうか。日本での直接的な接触をもとに綴られた記録を中心にご紹介します。

『イエズス会日本書簡集』
1570年 コインブラ刊

1549年のフランシスコ・ザビエル渡来から1566年までにイエズス会士が日本から発信した書簡を集成したものです。大航海時代の日欧交流の黎明を伝える大著で、初版初刷本は世界に3冊しか現存していません。収録されているザビエルの書簡2通には、戦国時代を生きた日本人の社会・習俗の詳細が記されています。

『ジョン・セーリスの航海日記』(重要文化財)
ジョン・セーリス 1617年清書

1613年、貿易商船隊司令官ジョン・セーリス(1580-1643年)は国王ジェームズ1世(在位1603-25年)の親書を携え、日本で貿易を行う目的で1611年4月18日にイギリスを出帆しました。この資料は当時の航海日誌です。日誌はイギリス出港の日に始まり、セーリスのイギリス帰国の日まで、丹念につけられています。東洋文庫が所蔵しているのは、セーリスがフランシス・ベーコンに献呈したと伝えられる清書本です。

『日本誌』
モンタヌス 1669年 アムステルダム刊

著者のモンタヌスは、アムステルダム生まれの牧師で、作家としても名を馳せました。彼自身は日本を訪れたことは一度もありませんでしたが、イエズス会宣教師の報告書や東インド会社の記録に持ち前の学識と文章力を加えて、想像上の日本を描き出し、ベストセラーとなりました。当時のヨーロッパの人々が抱いた日本に対するイメージを知るうえで貴重な資料といえます。

3、日本を探検・探求する  

江戸幕府の創立から間もない1609年に、オランダ東インド会社の商館が長崎の平戸に設置され、のちに長崎港内に築かれた出島へ移転しました。商館には医師が駐在し、そのなかには博物学者として優れた人物もいました。彼らは日本滞在中に文献や標本などの資料を集め、帰国後に日本研究の成果を著作に結実させ、歴史、地理、自然、風俗など日本のことを全般的に紹介しました。これらの著作は西洋人の注目を集め、広く読まれました。さらに、18世紀のヨーロッパでは地球規模で探索しようとする動きが活発になり、世界周航のなかで日本沿岸を航海した人々による探検記も増えていきます。ここでは、鎖国下の日本を内側と外側それぞれから探検・探求した視線に着目します。

『世界の鏡』 
キャーティプ・チェレビ 1732年

オスマン帝国時代のトルコで初めて作られたアラビア文字の活版印刷本の1つで、世界の地理について記しています。日本(ヤポンヤ島)に関する記述に始まり、地図も掲載されています。
イスラム世界に日本の地理的な情報を
詳しく伝えたという意味で重要な一冊です。

『日本(NIPPON)』
シーボルト 1832-52年刊

ドイツ人医師のシーボルト(1796-1866)は、1823年8月に長崎のオランダ商館付の医師として来日しました。翌年には出島の外に鳴滝塾を開設し、日本各地から集まった医師や学者に西洋医学を中心とした諸科学(蘭学)を教授しています。本書は、日本の歴史・地理・言語・風俗などの諸分野について、自身が調査・収集した資料と既存の資料をもとにまとめた日本研究の集大成というべき書です。

4、異邦人が目撃した幕末

江戸時代をとおして外国との接触を制限してきた日本ですが、18世紀後半以降は外国船の来航による幕府との接触など、ヨーロッパ列強の接近を意識せざるをえない出来事が続きました。一方、19世紀に産業革命を迎えたアメリカは、増大する鯨油の需要に対応するため、捕鯨船の寄港地を確保するなどの目的をもって、日本の開国とアメリカとの通商条約を目指して艦隊を派遣しました。1853年のペリー来航、翌年の日米和親条約の締結により、日本の鎖国は終わりを迎え、幕末の動乱は激化していきます。1868年の新政府樹立と前後して、日本には諸外国の使節団や大使が訪れています。日本の歴史が大きく動いた出来事を、彼らはどのように記録したのでしょうか。幕末から明治初期にかけて、激動のなかで育まれた異文化交流のエピソードと共に紹介します。

『ペリー提督日本遠征記』
フランシス・L・ホークス編 1856年 ワシントン刊


ペリーは 1852 年に東インド艦隊司令官、そして日本との国交開始を交渉する特命大使を命じられました。53年に浦貿に来航し、翌年横浜を再訪して日米和親条約を結びます。本書は、記録の編纂·監修を米国政府から任されたペリーが、関係公文書、自身の日記、乗組員の日記、報告などをもとに、歴史家のホークスに編集させたものです。記された内容は、民族、芸術、自然など多岐にわたります。

『日本・中国・シャムの風景』
プロイセン東アジア調査団 1860-63年 

1860年に日本を訪れ、日本とプロイセン(現ドイツ)の修好通商条約を締結したオイレンブルク使節団が作成した報告書の一部です。図版60枚のうち30枚が日本に関するもので、江戸城とその周辺、横浜、長崎などが描かれています。風景だけではなく、日本庭園、寺社、道端の店など、日常の情景も描写しています。また、原画とは別に、それぞれの絵についての詳細な説明も付いています。

5、旅して暮らして記録して-明治日本紀行

開国により日本は国際社会に参入し、近代化への道を歩み始めました。明治時代には、東アジアの人々はもちろんのこと、新たに欧米を中心とした人々が日本を訪れるようになります。日本に駐在する外交官、海外の知識・技術・制度を学ぶために政府などが雇い入れたお雇い外国人、キリスト教の日本再布教を目指す宣教師、最新のアジア情勢を発信するジャーナリスト、日本独自の風土や文化を体感したい旅行者など、日本を訪れる目的、滞在期間はさまざまでした。彼らは、日本で生活をする、あるいは各地を旅するなかで体感したことを好意的に、ときには批判的に綴っています。これらの記録をとおして、在りし日の日本をふりかえります。

『ラフカディオ・ハーン書簡集』
ラフカディオ・ハーン 1890-96年

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、明治時代に活躍したギリシャ出身の新聞記者・日本研究者・小説家です。一方、イギリス出身のチェンバレンは、「君が代」や『古事記』の英訳で知られる当時最も著名な日本研究者で、外国人初の帝国大学(東京大学)名誉教授となった人物です。二人には親交があり、東洋文庫はハーン来日後の1890年以降の複数年にわたって両者が交わした手紙を所蔵しています。

『トバエ』
ジョルジュ・ビゴー 1887-89年

フランス出身の画家・漫画家のビゴーが描いた風刺画です。ビゴーは、当時ヨーロッパで流行していた「日本趣味(ジャポニズム)」の影響を受け、日本美術を研究するため1882年頃に来日しました。1887年に雑誌『トバエ』を刊行し、日本の政治や社会を題材とする風刺画を多数描きました。その作品には、自国の伝統ある文化を忘れて西洋文化を追い求める日本人の姿に落胆し、失われつつある古き良き日本文化を惜しむ気持ちが込められています。

『日本昔話』
1900年 大阪刊

明治中頃から昭和初期にかけて、「ちりめん本」とよばれる美しい書籍が日本で出版され、国内外で流通しました。長谷川武次郎という人物が考案して、外国語に翻訳した日本昔話シリーズが皮切りです。それを真似て出版したと思われるのが本シリーズです。役者が日本人のため、昔ながらの伝承を忠実に訳していますが、説明的な翻訳になっています。

ミュージアム開館カレンダー

ミュージアム

10:00〜17:00(入館は16:30まで)
毎週火曜日休館
Tel.03-3942-0280