創設者
Founder
東洋文庫の創設者
岩崎 久彌
いわさき ひさや(1865-1955)
実業家。土佐国安芸郡井ノ口村(現:高知県安芸市井ノ口)出身。岩崎弥太郎の長男。
福澤諭吉に師事。その後、アメリカのフィラデルフィアに5年間留学し、ペンシルヴァニア大学を卒業。1893年に三菱合資会社の社長に就任。明治・大正・昭和の3代にわたり、日本の産業の指導と育成に貢献。また文化事業・社会事業にも理解を示した。特に東洋学関係の図書の蒐集に興味を示し、1901年にマックス・ミューラー旧蔵の古代インド学関係書を一括購入し、東京帝国大学に寄贈。
1917年にモリソン文庫を購入し、1924年にこれを中核に据えて東洋文庫を創設した。また、東洋文庫とは別に、和田維四郎を顧問として和古書を主とする稀覯書3万8,000冊を蒐集した。これは1932・43・50年の3期に渡って東洋文庫に受贈され、岩崎文庫と呼ばれている。
理事長
-
東洋文庫編『東洋文庫十五年史』
1939年、東洋文庫岩崎久彌とモリソン文庫を
出会わせた人物井上 準之助
いのうえ じゅんのすけ
(1869-1932) -
東洋文庫編『東洋文庫十五年史』
1939年、東洋文庫初期東洋文庫の運営を下支え
桐島 像一
きりしま しゅういち
(1864-1937) -
東洋文庫編『東洋文庫十五年史』
1939年、東洋文庫モリソン文庫の移入に粉骨砕身
林 権助
はやし ごんすけ
(1860-1939) -
東洋文庫編『東洋文庫十五年史』
1939年、東洋文庫欧州に比肩する東洋学研究を
見据えて白鳥 庫吉
しらとり くらきち
(1865-1942) -
清水 澄
しみず とおる
(1868-1947) -
東洋文庫の再興に向けて
幣原喜重郎
しではら きじゅうろう
(1872-1951) -
文化遺産の保護に尽力
細川護立
ほそかわ もりたつ
(1883-1970) -
田中 於菟弥『「学問の思い出--辻〔直四郎〕博士を囲んで」『東方學』第43号』1972年、東方學會
古代インド研究を起点に世界へ発信
辻直四郎
つじ なおしろう
(1899-1979) -
榎博士頌寿記念東洋史論叢編纂委員会(編)『東洋史論叢 榎博士頌寿記念』1988年、汲古書院
資料の拡充が現在の東洋学研究の礎に
榎 一雄
えのき かずお
(1913-1989) -
都市出版株式会社『東京人1994年11月号 no.86 東洋文庫のすべて。』
1994年、都市出版株式会社チベット語文献の利用環境を整備
北村 甫
きたむら はじめ
(1923-2003) -
東洋文庫ミュージアム開設の立役者
槇原 稔
まきはら みのる
(1930-2020)
東洋文庫編『東洋文庫十五年史』
1939年、東洋文庫
岩崎久彌とモリソン文庫を 出会わせた人物
井上 準之助
いのうえ じゅんのすけ (1869-1932)
東洋文庫理事長(初代)。財政家。大分県日田郡大鶴村(現:大分県日田市)出身。井上清の五男。1875年、叔父の井上簡一の養子になる。号は清渓。
1896 年に東京帝国大学を卒業後、日本銀行に入行。1913 年に横浜正金銀行の頭取に就任。
1917年に横浜正金銀行北京支店駐在の小田切萬壽之助支店長とともに、モリソン文庫の蔵書の日本移入のため岩崎久彌を説得し、さらに東洋文庫の設立に尽力した。1919 年に日本銀行の総裁、1923 年に第2次山本内閣の大蔵相に就任した。1924年に東洋文庫が財団法人として創設されるに及び、理事長に就任した。
1927 年に再び日銀総裁となって金融恐慌の鎮静化に努め、1929 年には浜口内閣の大蔵相として金輸出解禁を断行する。1932 年、犬養内閣のもとで行われた衆議院解散に際して、民政党の筆頭総務として選挙対策に苦心していた折、血盟団員により暗殺された。
1936年に千代子未亡人と、嗣子の四郎氏が、一般経済史に関する学術図書を中心とした和漢洋中の書籍1,610部、4,862冊を東洋文庫に寄贈。この洋書の中には財界・経済界の雑誌などが含まれる。 蔵書のうち、普通教育、通俗図書は郷里の図書館に寄贈された。
東洋文庫編『東洋文庫十五年史』
1939年、東洋文庫
初期東洋文庫の運営を下支え
桐島 像一
きりしま しゅういち (1864-1937)
東洋文庫理事長(2代目)。高知藩士桐島正親の長男として高知城下に生まれた。
郷里の塾である、南洋社や嶽洋社で漢学を学ぶ。1880年、海南学校の廃校に伴い、藩主山内侯爵家の抜擢により東京に遊学を命じられる。岩崎家が経営する塾である雛鳳館に入り、岩崎久彌の学友となる。1889年東京帝国大学を卒業し、1890年三菱合資会社に入社。銀行部支配人、地所部長に歴任の後、同社最高顧問となる。1920年東京市会議長。
モリソン文庫購入の当初より参画し、岩崎家庭事務所長として庶務・会計・人事等を担当した。特にモリソン文庫到着時に、書籍が水害によって浸水した際に、その補修・整理・増補の事業の財務・庶務を指揮した。文庫の設立時に理事となり、初代理事長である井上準之助の急逝を受けて理事長を継いだ。まもなく林権助に理事長職を委ねた後は、逝去の1937年まで監事兼理事を務めた。
東洋文庫編『東洋文庫十五年史』
1939年、東洋文庫
モリソン文庫の移入に粉骨砕身
林 権助
はやし ごんすけ (1860-1939)
東洋文庫理事長(3代目)。外交官。会津城下出身。
会津藩校の日新館に入る。戊辰戦争の際には会津城に籠城。1872年に上京し、陸軍少佐の児玉実文に養われた。大学予備門(第一高等学校の前身)に入り、帝国大学法科大学政治科を卒業。1887年外務省に入省、翻訳局及び通商局を兼務。各国領事を歴任の後、1896年イギリス公使館書記官に着任。1897年末に北京の首席書記官となり、代理公使となる。1898年、戊戌の政変の際には梁啓超の日本亡命を支援した。 1899年朝鮮公使となる。日露戦争前後には対露強硬論を唱え、日本による朝鮮併合において中心的な役割を果たす。 1906年より中国公使。1907年に男爵位を授けられる。その後イタリア駐在特命全権大使、特命全権公使を兼任。
1916年中国に駐在中、モリソン文庫売却交渉に関わった。また、モリソン文庫の輸送に際して、警察による沿道警護を中華民国政府に要請したとの逸話が残る。 1931年東洋文庫理事長に就任。
東洋文庫編『東洋文庫十五年史』
1939年、東洋文庫
欧州に比肩する東洋学研究を 見据えて
白鳥 庫吉
しらとり くらきち (1865-1942)
東洋文庫理事長(4代目)。東洋史学者。千葉県出身。
千葉中学の時、木内重四郎(岩崎久彌の妹磯路と結婚、のち東洋文庫理事)とともに東洋史の先達、那珂通世の教えを受けた。大学予備門(一高)を経て帝国大学文科大学の史学科で西洋学を学び、1890年、卒業とともに学習院教授・歴史地理課長となる。同僚の市村瓚次郎が中国を、白鳥は日本及び東洋諸国の歴史を担当した。 朝鮮半島の歴史から研究を始め、満洲・蒙古・トルコ系諸民族の歴史、その相互交渉を研究して、中央アジアの諸民族史に及んだ。1910年東京大学教授。近代的東洋史学を確立し、北方民族並びに西域諸国の研究に貢献。
1922~1923年の欧州留学の際、数千冊に及ぶ書籍を購入し、桐島像一が管理を担っていたモリソン文庫仮事務所に送った。1924年の東洋文庫の設立とともに理事・研究部長となった。研究部では、欧文紀要の発行や研究会・談話会の開催等、文庫内外との学術情報の共有に力を入れた。1939年に林権助理事長の逝去した後、理事長に就任するが、病を得て1942年逝去。 著書に『西域史研究』等。旧蔵の東洋史関係文献365冊は成田図書館が収蔵。
清水 澄
しみず とおる (1868-1947)
東洋文庫理事長(5代目)。憲法学者。石川県金沢市出身。
学習院教授、慶應義塾大学法学部教授を経て、行政裁判所長官、帝国美術院院長、枢密院議長を歴任した。帝国学士院会員。1932年から理事を務め、1939年に理事長に就任。
東洋文庫の再興に向けて
幣原喜重郎
しではら きじゅうろう (1872-1951)
東洋文庫理事長(6代目)。外交官・政治家。堺県茨田郡門間村(現:大阪府門真市)出身。兄の坦は教育行政官、台北帝国大学初代総長。
1915年、外務次官。1924年、外務大臣。1945年、第44代内閣総理大臣。1947年より東洋文庫理事長。終戦後、東洋文庫は、GHQによる財閥解体の影響を受けた岩崎家からの経済的支援が滞ったため、解散の危機に瀕していた。その際、幣原が国立国会図書館と交渉し、東洋文庫を国立国会図書館の支部に組み入れたことで、東洋文庫の運営の活路を開いた。
文化遺産の保護に尽力
細川護立
ほそかわ もりたつ (1883-1970)
東洋文庫理事長(7代目)。宮内官僚、政治家。肥後熊本の藩主細川家第16代当主。東京府東京市小石川区高田老松町(現:東京都文京区目白台)出身。
芸術に造詣が深く、美術品蒐集で著名。 また『白樺』発足の際の同人でもあった。 1948年、日本美術刀剣保存協会を設立、初代会長に就任した。 また1950年に永青文庫を創立。翌年の1951年から幣原喜重郎の後任として東洋文庫理事長に就任した。
田中 於菟弥『「学問の思い出--辻〔直四郎〕博士を囲んで」『東方學』第43号』1972年、東方學會
古代インド研究を起点に世界へ発信
辻直四郎
つじ なおしろう (1899-1979)
東洋文庫理事長(8代目)。サンスクリット学者。旧姓は福島。東京府日本橋(現・東京都日本橋)出身。
1942年、東京大学教授。1950年、東京大学文学部長。1954年、東京大学教養学部長。1960年、東京大学退官後、慶應義塾大学語学研究所教授。1961年、東洋文庫内に設立されたユネスコ東アジア文化研究センター所長、同年8月に日本ユネスコ国内委員会委員。1965年、東洋文庫長、1974年、東洋文庫理事長に就任。古代インド研究に貢献。著書に『ヴェーダ学論集』『サンスクリット文法』『サンスクリット文学史』等。1979年、東洋文庫は旧蔵書1万2,000点を購入し、現在は辻文庫と呼ばれる。
榎博士頌寿記念東洋史論叢編纂委員会(編)『東洋史論叢 榎博士頌寿記念』1988年、汲古書院
資料の拡充が現在の東洋学研究の礎に
榎 一雄
えのき かずお (1913-1989)
東洋文庫理事長(9代目)。東洋史学者。神戸市出身。
1955年東京大学教授。白鳥庫吉のもとに学び中央アジア史を中心に研究、中国関係・日本関係の著書も多い。史学会や東洋文庫の理事長を歴任。1974年、東洋文庫長。資料の充実に努め、敦煌文献、中近東現地語資料、ポルトガルのアジューダ宮図書館所蔵イエズス会東アジア関係文書、G・E・モリソンの故郷シドニーのミッチェル図書館所蔵モリソン関係資料 など、戦後の東洋文庫の特徴ある収集にはほとんど関係した。編著『講座敦煌』等。各国語に精通し、語学の習得の達人としても知られた。
1985年、東洋文庫理事長。1990年、旧蔵書約3万冊が東洋文庫に寄贈された。
都市出版株式会社『東京人1994年11月号 no.86 東洋文庫のすべて。』
1994年、都市出版株式会社
チベット語文献の利用環境を整備
北村 甫
きたむら はじめ (1923-2003)
東洋文庫理事長(10代目)。チベット学者。
戦後のチベット学を牽引した。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所長。名誉教授。日本チベット学会会長。麗澤大学教授を歴任。仏教学者・探検家の河口慧海(かわぐちえかい)が蒐集したチベット大蔵経典を、東洋文庫に移入することに尽力。これに関連して、チベット語(蔵語)を日本語に訳す『蔵和辞典』の編纂に参加し、東洋文庫内に設置されたチベット研究室・チベット研究委員会を率いた。
東洋文庫ミュージアム開設の立役者
槇原 稔
まきはら みのる (1930-2020)
東洋文庫理事長(12代目)。実業家。イギリス生まれ東京府(現:東京都)出身。1954年ハーバード大卒業。1956年三菱商事入社。1987年米国三菱商事社長。1992年三菱商事社長、2005年旭日大綬章を受章。2007年東洋文庫理事長。長年にわたる米国での駐在歴を持ち、三菱グループ・三菱金曜会の世話人代表を歴任する等、財界においての活動に加え日米交流においても大きな存在であった。2011年に東洋文庫本館の建て替え、東洋文庫ミュージアムの開館を主導した。
運営
-
石田幹之助『東洋史論叢』1965年、
石田博士古稀記念事業会
モリソン文庫の充実を目指して
石田幹之助
いしだ みきのすけ
(1891-1974) -
岩井博士古稀記念事業会編纂委員会(編)『典籍論集:岩井博士古稀記念』1963年、岩井博士古稀記念事業会
国立国会図書館支部としての東洋文庫を支えて
岩井大慧
いわい ひろさと
(1891-1971) -
東洋文庫編『東洋文庫十五年史』
1939年、東洋文庫
モリソン文庫購入の交渉役
小田切萬壽之助
おだぎり ますのすけ
(1868-1934) -
山本達郎ほか『山本達郎古稀記念録』
不明、不明
東南アジア関係資料の整備に注力
山本達郎
やまもと たつろう
(1910-2001) -
和田博士古稀記念東洋史論叢編纂委員会(編)『東洋史論叢 : 和田博士古稀記念』1961年、講談社
研究環境の維持に尽力
和田清
わだ せい
(1890-1963) -
都市出版株式会社『東京人1994年11月号 no.86 東洋文庫のすべて。』
1994年、都市出版株式会社河野 六郎
こうの ろくろう
(1912-1998) -
護雅夫『遊牧騎馬民族国家 "蒼き狼"の子孫たち』1967年、講談社
トルコと日本の学術交流の架け橋として
護雅夫
もり まさお
(1921-1996) -
中根千枝/尕藏杰/旦却加『中根千枝藏学论文编译集』2019年、青海人民出版社
中根千枝
なかね ちえ
(1926-2021) -
東洋文庫近代中国研究班『近代中国研究と市古宙三』2016年、汲古書院
日本の近代中国史研究が発展する基礎を築く
市古宙三
いちこ ちゅうぞう
(1913-2014)
石田幹之助『東洋史論叢』1965年、
石田博士古稀記念事業会
モリソン文庫の充実を目指して
石田幹之助
いしだ みきのすけ (1891-1974)
東洋史学者。千葉県出身。号は杜村(もりそん)。
文学博士。東方学会会長。その研究はアジア史のあらゆる分野に及ぶが、中でも唐代の文化史、特に同時代を中心とする東西文化交渉史に優れた業績を挙げた。モリソン文庫の招来以来、1934年まで文庫主事としてその運営に力を尽くした。当初、モリソン文庫は中国に関する書籍が中心だったが、石田は朝鮮やベトナムなど、広く東アジアの書籍に関心を寄せ、モリソン文庫にこれらを加えた。
著書に『長安の春』『東亜文化史叢考』等。旧蔵の洋装本は國學院大学が収蔵。芥川龍之介と親交を持っていたことでも知られる。
岩井博士古稀記念事業会編纂委員会(編)『典籍論集:岩井博士古稀記念』1963年、岩井博士古稀記念事業会
国立国会図書館支部としての東洋文庫を支えて
岩井大慧
いわい ひろさと (1891-1971)
東洋史学者。東京芝出身。旧姓圀下。別名裕郷。
1924年東洋文庫副主事。1945年駒沢大学文学部教授。1948年、東洋文庫が国立国会図書館の支部として再出発した際には、国立国会図書館へ自らも移籍し、東洋文庫支部文庫長を務めた。1965年の退職時に、蒐集の東洋史関係書610冊を東洋文庫へ寄贈。旧蔵の和書1,572冊、洋書201冊は駒沢大学図書館が収蔵。
東洋文庫編『東洋文庫十五年史』
1939年、東洋文庫
モリソン文庫購入の交渉役
小田切萬壽之助
おだぎり ますのすけ (1868-1934)
小田切萬壽之助 おだぎり ますのすけ(1868-1934) モリソン文庫購入の交渉役
外交官・銀行家。四日市出身。字は富卿。号は銀台。田盛大とも称する。父は米沢藩士で藩儒の小田切盛徳(?-1885)。
1900年、朝鮮・京城公使の林権助氏のもとで働き、杭州領事を経て1902年上海総領事。1905年に横浜正金銀行取締役、在清国支店の管理。1907年、林権助清国公使に請われて同銀行の北京駐在総取締役となり、対清国借款、外交条約の締結でも活躍した。1917年には岩崎久彌の代理人となり、井上準之助と同様に「相談役」の一人となり、モリソン文庫購入の交渉にあたる。東洋文庫初代監事を、1934年に逝去まで務めていた。自らも漢籍を多数収蔵した。また詩文もよくし、著書に『朝鮮』、漢詩集『銀台遺稿』がある。
山本達郎ほか『山本達郎古稀記念録』
不明、不明
東南アジア関係資料の整備に注力
山本達郎
やまもと たつろう (1910-2001)
東洋史学者。東京府出身。旧姓は松村。
政治家の山本達雄は母方の祖父で養父。1933年東京帝国大学東洋史学科を卒業。1949年より東京大学教授。南方史研究会を組織し、国際基督教大学でも教授としてアジア史を講じる。1975年、国際哲学人文科学協議会会長。1953年から東洋文庫の評議員・理事を歴任し、その間に近代中国研究委員会を発足させている。初期の蔵書は1945年の空襲により灰塵に帰してしまうが、戦後あらためて再開した蒐集は貴重書を含む2万冊に達する。べラルデ文庫とモリソンⅡ世文庫の整理を主とする、1989年からの「東南アジア研究資料収集整理プロジェクト」を後押しした。
著書に『安南史研究1』ほか。旧蔵書は生前からの希望により東洋文庫に収められ、2012年に『山本達郎博士寄贈書目録』が刊行されている。
和田博士古稀記念東洋史論叢編纂委員会(編)『東洋史論叢 : 和田博士古稀記念』1961年、講談社
研究環境の維持に尽力
和田清
わだ せい (1890-1963)
東洋史学者。神奈川県茅ヶ崎市出身。
1927年東京帝国大学助教授、のち教授。専門は満洲・蒙古史研究。地方志や族譜の蒐集に尽力。著書に『内蒙古諸部落の起源』『東亜史研究』等。東洋文庫では、研究員や理事、研究部長などを務めた。東洋文庫の所蔵資料の拡充に寄与したほか、戦後は東洋学の研究雑誌である『東洋学報』の発刊続行に奔走した。
都市出版株式会社『東京人1994年11月号 no.86 東洋文庫のすべて。』
1994年、都市出版株式会社
河野 六郎
こうの ろくろう (1912-1998)
言語学者。兵庫県出身。
東京教育大学名誉教授。文化功労者。専門は朝鮮語・中国語。戦後の朝鮮語学の中心的な人物。東京帝国大学で小倉進平に師事。東京大学助教授を経て朝鮮・京城帝国大学に赴任。終戦時に朝鮮半島より引き揚げる。終戦の混乱の中で多くの蔵書や文献を現地に残し帰国したといわれる。
その後、東京文理科大学助教授、天理大学教授、東京教育大学教授を歴任。朝鮮語以外にも文字論、方言、漢字音研究などの分野の功績で知られる。
東洋文庫では理事として、榎一雄の蔵書の整理と著作集の編纂の指揮などを取った。
護雅夫『遊牧騎馬民族国家 "蒼き狼"の子孫たち』1967年、講談社
トルコと日本の学術交流の架け橋として
護雅夫
もり まさお (1921-1996)
東洋学者・歴史学者。滋賀県長浜町(現:長浜市)出身。
専門はトルコ民族史・内陸アジア史。東京大学名誉教授。日本学士院会員。北海道大学助教授をへて、1968年東大教授。のち日本大学教授、中近東文化センター理事長。内陸アジア史を研究。1970年『古代トルコ民族史研究I』で学士院賞。
東洋文庫では総務部長や研究部長、理事を務めた。トルコへの留学経験があり、現地語資料の蒐集や保存、学術交流に寄与した。
中根千枝/尕藏杰/旦却加『中根千枝藏学论文编译集』2019年、青海人民出版社
中根千枝
なかね ちえ (1926-2021)
社会人類学者。東京府豊多摩郡戸塚村(現:新宿区)出身。
専門はインド・チベット・日本の社会組織の研究。東京大学名誉教授。日本学士院会員。イギリス人類学民俗学連合名誉会員、国際人類学民俗学連合名誉会員など。女性初の文化勲章受章者となった。東洋文庫においては、チベットの社会研究を進める傍ら、東洋文庫理事(1992-2021年)、東洋学連絡委員会委員(2003-2021年)に就任し、文庫の事業に大きく寄与した。
東洋文庫近代中国研究班『近代中国研究と市古宙三』2016年、汲古書院
日本の近代中国史研究が発展する基礎を築く
市古宙三
いちこ ちゅうぞう (1913-2014)
専門は近代中国史。お茶の水女子大学名誉教授。勲二等瑞宝章受勲。1953年から95年まで東洋文庫内に設けられた近代中国研究委員会(現在の近代中国研究班)を主宰した。1960年代に、フォード財団やアジア財団による助成をもとに、近代中国研究の基礎となる関係資料を収集・整理し、モリソン文庫と同様、近代中国に関して最もまとまったコレクションを有するに至った。