
「怖い」本
2026年6月3日(水)〜
2026年9月23日(水)
時代や地域を越えて、恐ろしい事実を知らせるため、教訓とするため、時には、ぞっとする感じを楽しむため、数多くの「怖い」本が書かれてきました。そのような資料をひも解くと、普遍的な怖い本だけではなく、昔は怖くなかったが今考えると怖い本や、今は怖くない本など、「怖い」という感覚は時代と共に変化していることが見えてきます。本展では、「怖い」という言葉から連想される様々なテーマで資料を展示します。恐ろしい死後の世界や、災いを引き起こす人ならざるものたち、悪人と呼ばれる人々、さらに、人が起こした事件や刑罰まで......。怖さを感じさせる要因は時代や地域ごとに移り変わってきました。人々が怖さと向き合い、乗り越えてきた歴史に触れて、改めて「怖い」を考えていただければ幸いです。
展示資料の原題・請求番号はこちら(閲覧停止資料)よりご確認いただけます。
これらの資料は展示終了後、閲覧室でご覧いただけます(一部ご覧いただけない場合もございます)。
詳しい閲覧方法はこちら(資料の閲覧・複写などについて)よりご覧ください。
展示構成とみどころ
あの世の世界
地獄といえば「この世での悪い行いをした人が死後に責め苦を受ける世界」というイメージは、現代の私たちにも深く根付いています。日本では、主に仏教の影響をうけて形作られました。
平安時代に成立した仏教書、『往生要集』によれば、人は生前の行いによって地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天という「六道」のいずれかに転生するとされます。地獄道では、罪の重さに応じた八つの地獄で苦しむことになります。また、人道については、生者と死者の穢れを説いています。特に、死者の穢れについての言説は、遺体が腐敗していく様を見つめることで執着を絶つ仏僧の修行に取り込まれました。この世での行いを戒める、恐ろしいあの世の世界をご紹介します。

往生要集
源信 985年成立 13-14世紀刊
比叡山の僧源信が経典などから、死後に極楽へいく事(往生)に関する文章を集めた仏教書です。地獄についても、「八大地獄」をはじめさまざまな罰が与えられる場所として詳しく描写されています。これにより、生前の罪とそれに対して下される罰への認識を人々に広めました。同時に、仏を信じて心から念仏を唱えることが極楽往生につながるという教えは、日本の仏教思想に大きな影響を与えました。

九相図巻
鎌倉時代成立か 書写年不明
遺体を野外に置いて自然に朽ちるままに任せる葬法により、朽ちる経過を9段階に分けて描いた仏教絵画です。仏僧の色欲を絶つ修行に使われたとされます。展示の噉食相は、遺体の腐敗した臭いを嗅ぎつけた野生の獣が、遺体を食い荒らす場面を描いています。
日本の怪奇
古代の日本では、目に見えない恐ろしい人ならざるものが、災害や病など不可解な現象を引き起こすと考えられていました。災いが起きると厄災を避けるため、まじないや怨霊を鎮める儀式が行われました。強力な力をもつ人ならざるものは、生活に影響を及ぼす恐ろしい存在でした。
近世になると、知識人は人ならざるものに説明をつけようとし、18世紀には、実在への疑問が広まり始めたといわれています。同時に、不可解な現象をおこす化け物は姿を描かれ、キャラクター化され、絵本や物語、歌舞伎、玩具などの題材として人々を楽しませるようになりました。
こうして、人ならざるものは実生活の表舞台から姿を消していきました。一方で、キャラクター化された化け物はのちに妖怪とよばれるようになり、現代でも人々を魅了してやみません。人ならざるものは怖い?怖くない?それぞれの考え方を辿ります。

菅家物語
室町時代成立 江戸時代前期(17世紀)写
菅原道真(845-903)は学問に卓越した能力をもち、その才覚で宇多天皇らに重用されながら、周りの妬みにより京から太宰府へ左遷されてしまう不遇の人物です。本書は、道真が太宰府で亡くなった後、京では落雷などの災いが続き、道真の祟りと恐れられたため、鎮魂されて天神さまとして祀られるというお話です。

絵本百物語
桃山人撰 竹原春泉画 1841年
『桃山人夜話』とも呼ばれ、40種以上もの妖怪が滑稽かつ繊細に描かれた、妖怪図鑑のような怪談本の一種です。江戸時代後期に活躍した浮世絵師・竹原春泉が挿絵を描きました。題名の「百物語」とは、人々が夜に集まって100種の怪談を順に語り、100番目の話を終えると妖怪が現れるとされた遊びのことで、江戸時代に流行しました。
アジアの怪奇
不思議な存在が不可解な現象を起こすという考えは、日本のみならずアジア各地に根付いています。そうした「人ならざるもの」の不思議な伝承は、地域の人々や、この地を訪れた異邦人たちによって収集・記録されてきました。「飛頭蛮」という妖怪は、夜になると頭が胴体から離れて空を飛ぶ、という特徴をもつ妖怪として古くから各地で知られていました。不思議な伝承は、このように地域を越えて共有されたものだけではなく、ある地域だけのユニークな伝承もみられるのが面白いところです。アジア各地の幅広い「人ならざるもの」たちをご覧ください。

捜神記
干宝 4世紀成立 万暦年間(16世紀末-17世紀初頭)刊
東晋時代中国の知識人、干宝(?-336)が編纂した志怪小説(奇怪な話を扱った小説集)です。若い頃からその才を認められた干宝は、4世紀当時、南方に亡命した東晋王朝の史官に任じられ、史書編纂に従事しました。また、彼は親族が関わった奇妙な出来事をきっかけに、不思議な事件を集め一書にまとめました。それが『捜神記』となります。

瀛涯勝覧
馬歓撰 1416年序 江戸時代書写
15世紀初頭に南海遠征を指揮した鄭和は、明の永楽帝(在位:1402-24)に重用された宦官出身の武将です。本書は遠征に随行した馬歓による見聞録です。占城(チャンパ、現・ベトナム)には屍致魚(飛頭蛮)と呼ばれる者がいたといいます。目に瞳がなく、眠ると頭が体から離れて飛んで子どもに食いつくと、子どもの体に悪い気が入り込んでしまいます。東洋文庫所蔵本は、新井白石による写本と伝わります。
虐げる・裁く・衝突する-人が生む恐ろしさ-
本章では、「人が人に対して行った恐ろしさ」に目を向けます。人間社会は、決まりや慣習、宗教観、さらには利己心など、さまざまな理由によって時に大きな苦しみや衝突を生み出してきました。
「人権」が意識される以前の刑罰には、身体に直接苦痛を与えるものが多く存在し、残酷な拷問が行われることもありました。さらに、中国や江戸時代までの日本では、仇討ちが儒教的な価値観のもとで肯定され、美談として語られることもありました。
たとえば、過去の社会では、当時の価値観のもとで正しいとされた行為でも、現代の私たちの目には、その多くが恐ろしいものに映ります。これらの資料は、人がつくってきた歴史の一側面を今に伝えています。

石川村五右衛門物語
富川房信 1776(安永5)年
石川五右衛門は、安土桃山時代(16世紀)に実在したとされる人物で、盗賊団の首領として捕まり処刑されたことが知られています。歌舞伎や浄瑠璃など、石川五右衛門を主人公とした創作物は多数あり、さまざまな逸話が語られていますが、とくに有名なのは京都の河原で釜茹での刑に処されるという壮絶な最期です。江戸時代の絵入りの小説である本書も、物語のクライマックスで釜茹での場面を描いています。

アヘン吸飲者とばくち打ち
ハリー・ダレル 1842年
アヘンの売買と吸飲の場所を提供する中国の「アヘン窟」の様子を、イギリス海軍の画家が描いた図です。手前で座りこみ片手を上げる男性は、アヘンの常用によって体が衰えてしまったのでしょう。その横で煙管をもつ男は、客のアヘン吸飲を手伝う店員のようです。アヘンは古くから鎮痛剤などの薬として用いられてきましたが、強力な依存性があり次第に心身が衰弱していく麻薬です。中国では宮中にも中毒者が出るほど広まりましたが、1950年代に多大な犠牲を払って根絶されました。
悪人の実像
歴史上の『悪人』は、本当に悪だったのでしょうか。「悪人」が生まれる時は、どんな時でしょうか。組織のトップのもとで調和した秩序が保たれている時、外戚や寵臣など、秩序の周辺では反秩序の芽が生まれることがあります。政治的な分裂や反乱の中では、とりわけ目立つ人物が現れ、新しい政治勢力が成立する過程で、対立する側の人物は「悪役」として語られることになります。そこにあるのは多くの場合、「立場の違い」です。また、後世になって人々への戒めや教訓とするために、人物像が誇張され、「悪人」として描かれることもあります。
本章では、さまざまな視点や事情の中で形づくられてきた「悪人」の虚像と実像に迫ります。

帝鑑図説
張居正 1572年成立 1858(安政5)年刊
始皇帝が「暴君」であるとのイメージは時代がくだってついたものです。これには儒者による評価が大きく影響しています。明の時代(16世紀)に成立した本書は、中国歴代の王について儒教の観点から善行、悪行を解説するものです。「焚書坑儒」は、一般に始皇帝による儒者弾圧事件として知られ、本書でも悪行として紹介されています。しかし、漢代の歴史書『史記』には「術士を阬す(穴埋めにする)」と書かれており、術士は儒者にかぎらないのではという議論もあります。
災害・病と向き合う
かつて、流行病や自然災害のような、人の力ではどうにもできない恐ろしい事態に直面したとき、人々はその事実を記録に残す、創作物の題材にする、「人ならざるもの」に原因を求めるなどして災いに向き合いました。
災いの原因は神による人の行いへの戒めと解釈されることもありますが、日本においては、人々を苦しめる「悪」の象徴として、鬼や妖怪などの姿で表現した例も数多く見られます。これらは恐ろしい存在でありながらも、各地の信仰に基づく観念的な、ときにユーモアを感じさせる姿で描かれ、辛い境遇にある人々のやり場のない怒りや不安を受け止めてやわらげる役割を果たすと同時に、厄を退ける効果を求められることもありました。人の生活、命に直結した切実な出来事から生み出された「怖い」をご覧ください。

地震風刺絵(鯰絵)
1855年刊
1854年に起きた東海・南海地震では、東海道から九州・北陸・四国など広範囲にわたり大きな被害を受け、翌年には江戸の町を大地震が襲いました(安政の大地震)。江戸での地震発生の直後から約2か月間、「鯰絵」とよばれる浮世絵がたくさん刊行されました。いずれも地中で暴れて地震を起こしていると考えられていた大ナマズを題材にしていますが、表現方法はバラエティに富んでいます。
企画展チケット購入はこちら
