No.1. 2024.4.1 芥川龍之介の俳句
芥川龍之介の俳句
石田幹之助先生舊藏資料
東洋文庫の初代主事であった石田幹之助先生の舊宅に置かれてあった資料一切を、ご遺族の御好意で文庫に頂戴することになり、現在圖書部で鋭意整理中である。もちろん書物もあるが、多くは雜多な資料である。その中に石田先生が芥川龍之介に宛てたハガキが二枚あった。この場を借りてその紹介を試みたい。
繪はがき二枚
一枚は繪はがきで、裏は京都嵐山の白黒寫眞、「嵐山 温泉塲 嵐峽館」の説明が付いている。表書きの宛名は「東京市外瀧之川田端四三六 芥川龍之介樣」で、「十一月二十三日」の日付がある。下欄に
嵐峽の朝ことに水のつめたきを覺え申し候。夜雨蕭々、巴山夜雨漲愁池の句を思出で候。その内拜芝に罷出度存をり候。歸京の夜、京都にて 幹之助
とある。「巴山夜雨漲愁他」は李商隱の有名な「夜雨寄北」七言絶句の首聯下句で、上句は「君問歸期未有期」である。わざとそれを書かないところ、なかなかの技巧が見える。もっともこのハガキは投函されなかったらしい。
石田資料中にはこの種の未投函の封筒やハガキが少なくない。
もう一枚も未投函の繪はがきで、裏は「湯河原不動の瀧」のカラー寫眞、表には「東京市外田端一六四 芥川龍之介樣」の宛名に
「花ちるやまぶしさうなる菊池寛」名吟と存候。 湯河原ニテ 幹
という文面が添えてある。この句について石田先生かなりご執心であったらしく、ある古書即賣會の目録の表紙にも「芥川、花散るやまぼしさうなる菊池寛 どの全集にもなし」と走り書きされている。新しい芥川全集の出版企畫があれば、是非載録していただきたい句である。
芥川關係資料
芥川關係では、管見に入ったものとして、ほかには四月一日付(大正七年か)の「神奈川縣鎌倉町大町字辻小山別邸内」への轉居通知、「小穴隆一君を御紹介申上候、御引見下され度願上候 石田幹之助樣」と書かれた芥川の名刺や、谷中齋場における芥川葬儀の際の人員配置圖、昭和二年七月二十七日付、「男 比呂志、妻 文子」名義の會葬禮状などがあったが、その數は意外に少ない。
(高田時雄)