ときには師、ときにはライバル...。

こんにちは、散歩が趣味のMAはるまきです。
先週、大学院の授業で1週間ほど北九州に滞在してきました。
今年は暖冬だと言われていますが、向こうは本当に春のような陽気で驚きました!
学問の神様・菅原道真公をまつる太宰府天満宮では、梅が見事に咲いていました。
関東でも、そろそろ水戸偕楽園で梅まつりが始まるとか。

さて、北九州滞在の本目的は、陶磁器生産遺跡の保存と活用について学ぶことでした。
(はるまきは一応、考古学が専門分野です。)
そこで、唐津・伊万里・有田・波佐見といった、歴史に名だたる陶磁器生産地を巡り整備された窯跡をたくさん見学してきました!
「窯跡」とひとくちに言っても本当に色々。
それぞれ生産内容やメインの顧客層が異なっていたこともあり、非常に多様性に富んでいて、比べてみるとなかなか面白かったです。

そもそも、陶磁器は「生産地の名前」ではなく「積出港の名前」で認識されていました。
そのため、骨董業界で「伊万里」といった場合、あくまで「伊万里港から輸出された磁器」を指しており、実際には「伊万里の窯で焼かれたもの」ではなく「有田の窯で焼かれたもの」だったりします。
(紛らわしいですね~~~!!)

なので、考古学業界ではこれらをまとめて「肥前磁器」と呼び、その中で生産された土地や窯を特定するよう努めています。
色々小難しく書いてしまいましたが、実際に生産地ごとの違いをご紹介してみましょう!

①唐津
陶器の一大積出港でもあり、陶器の生産地でもありました。
画一的な品質を重視する磁器とは違い、釉薬の垂れ具合の違いやゆがみを「個性」としてとらえる陶器の生産では、今も伝統的な「登り窯」が使われています。
渋い「絵唐津」のぐい吞みはお酒のお供にピッタリですよ!

②伊万里
江戸時代・佐賀藩によって厳しく生産が統括され、幕府献上用や大名贈答用に重宝された「鍋島焼」を生産する大川内山(おおかわちやま)地区で有名です。
繊細な絵付けと洗練されたデザインは、さすが贈答用の格の高さを感じさせます!
現在では地区全体が「鍋島藩窯公園」として史跡整備されています。

③有田
朝鮮半島出身の陶工・李参平によって、日本ではじめて磁器生産が行われた地のひとつです。
こちらも佐賀藩による統治を受けていましたが、伊万里とは違って「赤絵」という技法を特徴としています。
金色の上絵付を施す「金襴手」の製品はヨーロッパで絶大な人気を博しました!

④波佐見
伊万里・有田が武家階層や裕福な商人層をメインターゲットとした高級品生産に力を入れていたのに対し、こちらでは庶民層をターゲットとして安価な量産品を大量に供給していました。
一度になるべく多くの製品を焼けるように工夫していった結果、窯はどんどん巨大化。
ついには世界一の規模にまで!
(窯跡を見学したのですが、ひとつ焼成室が東京のワンルームマンションよりも広い…。)

最後に、現在開催中の「大清帝国展」に関連する話題をひとつ。
そもそも、日本における磁器生産が江戸時代初期に大きく進展した背景には、中国における王朝交代(明から清へ)の動乱がありました。
生産力の下がった中国に変わって、肥前磁器が国内外の需要をリードしていたのです。

一方、清帝国の情勢が安定し、再び安定的な磁器生産・輸出が開始されると、肥前磁器の窯は今度は国内の庶民層(これまで磁器を使用してこなかった人々)向けに安価な商品の生産を始めます。
そして、ヨーロッパとの争いによって再び清の生産力が低下すると、再びヨーロッパ向けの輸出品生産に力を入れたのです。

つまり、日本における磁器生産の展開は、中国の生産力との絶妙なパワーバランスの上に成り立ってきたのです!
かつてはただ憧れる存在だった中国の陶磁器。
追いつき、追い抜き、また追い越され。
そんな師匠でもあり、ライバルでもあった中国の陶磁器窯と日本の陶磁器窯の関係性に、ちょっとしたロマンを感じる旅でした!

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