(もっと)北の国から。

こんにちは、散歩が趣味のMAはるまきです。
関東に甚大な被害を巻き起こした台風15号が去ってからめっきり秋めいてきましたが、みなさまお元気にお過ごしでしょうか?

さて、今週も、先週に引き続き北海道旅行のお話をしたいと思います。
(使えるネタはどこまででも引っ張りますよ!)
先週は函館周辺の中世城郭に関するお話でしたが、今週は札幌周辺の博物館で見た展示について。
題して、「北東アジアの中の北海道」。

札幌では北海道埋蔵文化財センター・北海道開拓の村・北海道大学総合博物館・北海道博物館・北海道立近代美術館などを回りました。
(ほとんど博物館しか行っていませんね…)
そこで多く目にしたのは、中世以降のアイヌ文化にまつわる展示、そしてアイヌ文化期以前の文化にまつわる展示でした。

本州を中心とする日本列島の大部分では、
旧石器→縄文→弥生→古墳→飛鳥→奈良→平安→鎌倉→南北朝→室町→戦国→安土桃山→江戸→近代(明治以降)
というような歴史の時代区分が行われています。
一方、北海道では縄文時代以降の展開は本州とは全く異なっており、
縄文→続縄文→擦文文化・オホーツク文化→アイヌ文化→近代
という時代区分になっています。

このうち、アイヌ文化期に関する物事は見聞きすることがよくあるかもしれませんが、それ以前の文化についてはあまり馴染みがないのではないでしょうか?
(少なくとも、はるまきにとってはそうでした。)
しかし、そこには北東アジアとの豊かなつながりを持った文化が存在していたのです!

北海道埋蔵文化財センターでは、オホーツク文化に関するテーマ展示が行われていました。
(オホーツク文化期は本州などで言うと古墳時代~平安時代にあたり、北海道では本州の文化に強く影響を受けて成立した擦文文化と並行します。)
オホーツク文化を担った人々は、オホーツク海沿岸を中心に活動した海洋漁労民でした。

驚いたのは、アムール川中・下流域や沿海州といった大陸系文化の影響が非常に濃厚なこと。
青銅製の帯金具や、銀製の耳飾り、大陸産ガラス小玉、などなど…。
古墳時代の日本列島でも金銅製帯金具・馬具や大陸製ガラス小玉は見られますが、これらは朝鮮半島から持ち込まれたもので、同じ「大陸系」でも系統がだいぶ異なっています。

また、面白いのはその後のアイヌ文化の中にオホーツク文化の影響が見られることです。
「イオマンテ(熊送り)」はアイヌ民族の儀礼のひとつとして著名ですが、研究の成果からこの習俗はオホーツク文化由来のものと考えられるようです。
オホーツク文化を担った人々は、動物の骨を加工して作った小さなクマの像をたくさん遺しています。

現代の私たちにとって、北海道は「日本の北端」かもしれません。
しかし、少し見方を変えてみれば、それは北東アジア世界への玄関口であり、日本列島における文化ターミナルのひとつであるということに気付かされますね。
北海道という「窓」から、北東アジアの国々をのぞく旅に出てみませんか?

なお、東洋文庫では2012年に『もっと北の国から 北方アジア探検史』と題した展示を行いました。
図録は残念ながら在庫切れとなっていますが、クニーガさんというサイトで注文印刷することができます。
割高にはなってしまいますが、関心があれば是非ご覧ください!

最近のブログ記事