ヘルン君とチヤンブレン君

突然ですが、皆さんは、怪談話お好きですか?
私が初めて読んだこわいお話は、おばあちゃんのうちで発見した、小泉八雲の「怪談」でした。
たしか子ども向けに編集されたバージョンだったと記憶しているのですが、1番最初に「耳なし芳一」を読み、
「これくらいの怖さなら一人で読める!」と調子に乗っていたところ、次から次へとどんどん怖い話が出てきて、夜寝付けなくなったのを覚えています…。

しかし、それとは別に驚いたのは、「このお話書いたの外国の人だったの!?しかも『小泉八雲』なんて、名前も日本人そのものなのに!!」ということでした。

前置きが長くなりましたが、今回は小泉八雲ことラフカディオ・ハーンと、そのお友達であるバジル・ホール・チェンバレンとの間で交わされたお手紙の紹介です。

ラフカディオ・ハーンはアイルランド出身。日本にやってきたのは1890年のことでした。最初は島根にて英語の教師の職に就き、6年後の1896年には今の東京大学で英文学講師となりました。

そしてその頃、ハーンと同い年で、かつ同じく東京大学で教授として活躍していた方が、バジル・ホール・チェンバレンです。
「古事記」の英訳を成し遂げた日本語学者であり、外国人としては初の同大学名誉教授となりました。

今回展示しているのは、このお二人の間の書簡です。それぞれの宛名書きが、こちら。




こんなに偉い人達同士で「君」呼び!!!きゅんっっ!!!!何だか萌えますね…。
ちなみに、元々ハーンのファミリーネームの表記はHearnだったことから、「ハーン」以外の表記として「ヘルン」というのも好んで用いられたとか。
というわけで、今回は「ヘルン君」呼びです…♡

この2人の間のやりとりを中心に、東洋文庫には他にも、ハーンが来日した1890年から6年間で友人たちと交わした手紙が128通あります。

「こんなのまで持ってるなんて、東洋文庫って一体何者なの!?」と思ったそこのあなた!
創立90周年を記念して、今回の展示では貴重な史料を他にもたくさん公開しています。
ぜひぜひ足を運んでみてください!

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

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